ISUZUのトラックが、エンジンが、そして社員が、
今日も世界の各地で働く人々に寄り添い、
ともに走っています。
この星のさまざまな暮らしや仕事を、
人と技術で支えていく。
そんなISUZUの姿を伝える
ドキュメントシリーズです。
更新情報
- 2020.04.01 「フィリピン 整備士養成学校」の動画「THE POWER OF WIND 運ぶを支える、人を育てる。」を追加しました。
ISUZUのトラックが、エンジンが、そして社員が、
今日も世界の各地で働く人々に寄り添い、
ともに走っています。
この星のさまざまな暮らしや仕事を、
人と技術で支えていく。
そんなISUZUの姿を伝える
ドキュメントシリーズです。
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「最果て」という言葉がこれほど似合う場所があるだろうか。南極・昭和基地。
ここでは、ディーゼルエンジンの停止は決して許されない。それは観測への影響だけでなく、ときに隊員の生命まで危険にさらすことになるからだ。ブリザードが何日も続くことがある。大陸の奥地まで1,000km移動することもある。極度に過酷な環境では、毎日がトラブルとの戦い。
雪上車や発電機の点検、整備、修理はもちろん、溶接や電気など、機械に関するあらゆることがISUZUの隊員に任される。メンテナンスは生命線。60年たった今でも、それは何ひとつ変わることはない。
常識や想定をこえる極限の地で、最後に頼れるものは、人と技術だった。
アメリカのトラック市場は日本やヨーロッパとは異なります。国土が広大で道路も広く、車両全長の規制が緩いことから、ボンネットタイプのトラックが主流。また、燃料資源が豊富でガソリンと軽油の値段は同程度、時期や地域によっては軽油の方が高いこともあるため、小型・中型トラックはガソリン車が多く使われています。
いすゞの得意とするキャブオーバータイプの小型ディーゼルトラックは、一見特異な存在ですが、『Nシリーズ』(日本ではエルフ)は、小回りのきく都市内配送車として高く評価され、耐久性に優れたディーゼル車が年間2万台以上販売されています。また、2011年からはガソリン車も加えてシェアを拡大しています。さらに2017年より『Fシリーズ』(日本ではフォワード)を新たに展開することで、小回りのきくキャブオーバータイプで積載量アップをお求めのお客様に対応しました。
多様な人種、文化、価値観が混在するアメリカですが、本当に良いものは率直に評価するお国柄です。いすゞは「いすゞならではの」質の高い商用車とサービスを提供し続けることで信頼を得て、アメリカに新たな道を切り拓いています。
道は人。道はストーリー。
大きな幹線道路から、名もなき小さな農道まで、
網の目のように張り巡らされた世界中の道はすべて、
ISUZUが活躍するフィールドだ。
運ぶ人がいるかぎり、その近くに寄り添い、
ともに走り続けることがISUZUの使命。
昼の国も。夜の国も。決して途切れることなく
道は人と暮らしを結び、物語をつなぐ舞台となる。
経済成長著しいアジアの国々。道を作り、街を築き、物を運ぶトラックは、国の発展や暮らしの進化の原動力と言えます。なかでもいすゞの「Nシリーズ/REWARD」(日本ではエルフ)は、優れた耐久信頼性が定評となっており、数多くの国で長年にわたってシェアNo.1を維持しています。特にタイにおけるいすゞのブランド力は抜群で、1t積ピックアップトラック「D-MAX」も圧倒的な人気を博しています。
いすゞにとってタイは日本と並ぶ主要拠点で、ピックアップトラックの開発・生産を行うとともに、アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカなどへの輸出拠点でもあります。このため、工場や販売会社に加えて「いすゞマニュファクチャリング・トレーニングセンター・タイランド」を開設し、人材育成といすゞ品質の徹底に取り組んでいます。また新興国のお客様ニーズに対応するコストパフォーマンスの高い新興国向け商用車をスピーディーに開発するために、タイ現地に開発統括会社(IGCE)を設立しました。2017年には、タイでの仕事や暮らしに密着してニーズを取り込んだ新興国向けトラックの開発、販売を開始。いすゞの新しい世界展開が始まっています。
フィリピンの人口は近年1億人を突破、しかも人口構成の平均年齢は24歳と若く、将来性豊かな国です。また、英語が公用語であることや人口の約10%(1,000万人)が他の国へ出稼ぎに行っていることから、グローバルな可能性に満ちた国といえます。ただ、この国の貧富の格差は大きく、貧困から抜け出すために必要な教育や支援の仕組みはまだまだ不足している状況です。
いすゞは社会貢献活動の一環として、2008年からフィリピン レイテ島タクロバン市のフィリピン労働雇用省技術教育技能開発庁(TESDA※)において、貧困家庭の子女を対象とした自動車整備士養成学校への教育支援活動を行っています。ここではフィリピンにおける自動車整備士の最高国家資格であるNC-Ⅳが取得可能で、NC-Ⅳが取得できる初めての認定校となりました。
この活動のスローガンは、「Quality Training-Our Commitment,Brighter Future-Our Gift」。
将来、学生たちが世界を股にかけるエンジニアとなって社会の発展に貢献してほしい、また、いすゞは常に進出した地域社会と共に発展していく企業でありたい、という思いを込めた言葉です。
いすゞは運営資金や必要な設備・専用機材の提供、寮や食堂などの運営を担うとともに、指導員の育成や、学生の学費・生活費の負担、運転免許の取得などきめ細かい支援を行っています。学校は2年間の全寮制で募集は毎年36名ですが、500名程度の応募がある難関で、選択の基準は、貧困家庭で向学心があり本当に親や家族を助けたいという強い意志を持っていること、数学・英語に秀でていることなど。2年という短期間で集中的に技術やマナー、規律を身につけてもらうことになるため、あえて厳しい選択基準を設けています。
授業はフィリピンの指導員が行いますが、その指導員に専門教育を行うのが「いすゞ塾」という教育システム。日本の生産、開発、アフターセールス部門などから現場のリーダークラスを派遣し、年間8回各1週間程度の教育を行うことで最新の知識や技術の伝達、教育レベルの向上を図っています。
その結果、この学校の卒業生は、世界約30カ国の選手が競う「いすゞワールドサービス技能コンテスト(カテゴリーB/低ユーロ規制国)」で優勝するなど、レベルの高さを証明しています。
2017年、卒業生は延べ220名に達し、フィリピン国内はもちろん世界の様々な国での活躍が期待されています。
※Technical Education and Skills Development Authority
太陽がほぼ真上に達し、建物から影がなくなったころ、卒業式は始まった。
フィリピン・レイテ島タクロバン。ここには、政府が進める教育機関「TESDA(テスダ)」の自動車整備士養成学校がある。2008年の開校以来、いすゞはここで教育支援活動を行なっている。
卒業式に出席した8期生14人は、約500人の志願者から選抜され、奨学制度のもと学んだ。
2年間の寮生活で、彼らは高い整備技術だけでなく、生活の規律も身につけていく。
そのため、世界のいたる所で働いている卒業生たちの評価はだれもが高い。
この日、式に駆けつけてきた生徒たちの親はもちろん、トレーナーも、先輩も、寮母も、そして、数々の整備工具やトラックも、みんなが、彼らの育ての親だった。
たくさんの人や慣れ親しんだものに祝福され、目をキラキラさせた卒寮生たちはこの地を後にした。
いすゞのトラックは第二次大戦後まもなくフィリピンに輸出を開始しており、以後、長年にわたって培われたいすゞ製ディーゼルエンジンの耐久性への信頼は非常に厚く、たとえばフィリピンの主要交通機関である小型バス・ジープニーの多くに、いすゞ製ディーゼルエンジンが搭載されています。
いすゞは1997年に「いすゞフィリピンズ」を開業し、現地での組立、生産、販売を開始。トラックの新車販売においては、日本の小型・中型に該当するカテゴリーで長年高いシェアを維持しており、近年、大型も急速にシェアを拡大しています。また多人数乗車のSUV・Mu-XやピックアップトラックD-MAXも人気があります。
いすゞは2015年、稼動サポート事業を強化するためアフターセールス支援会社 (IGSC※)をフィリピンに設立。IGSCでは、フィリピンにおける自動車整備士の最高国家資格であるNC-Ⅳを持つ整備士を採用し、いすゞ製品の整備に特化した講習や実技訓練を1年間集中的に行っています。また、いすゞは開発や営業などのスタッフを積極的に海外に送り出し、世界の市場を体験させる取り組みを行っています。IGSCにも日本国内のいすゞの販売会社から「いすゞサービス資格検定制度」の中の最高レベルであるS級を取得したスタッフを派遣し、現地のトレーナーに直接指導を行うことで、サービス品質、整備技術の向上を図っています。
日本の技術や品質を習得してもらうためには、日本的な心構えや規律への理解が大切なため、施設には日本語で書かれた「急がば回れ」の貼り紙も掲げられています。国民性や育ってきた環境、習慣は異なりますが、カタコトの言葉でも心でつながって理解してもらえることも多く、指導する側も貴重な体験を得ることができ成長につながっています。
2018年、東南アジアで初めて排出ガス規制「ユーロ4」に対応するフィリピン。アフターセールスの支援はフィリピンを起点に、中近東やその他の地域への拡大が見込まれています。
※Isuzu Global Service Corporation
フィリピンの首都、マニラ。この市街地おなじみの激しい渋滞を抜け、南に20キロほど郊外へ行くと、ISUZUの新人整備士がトレーニングに励んでいる新会社「IGSC」が現れる。2015年11月の設立と同時に入社したのは、フィリピン政府が進め、ISUZUが教育支援をする自動車整備士養成学校を卒業した若者たち。2年間学んだ彼らの技術はすでに高く、向上心もまた高い。しかし、日本から赴任した3人のトレーナーたちの目は厳しかった。「高い技術だけじゃ、だめなんだ。」だれからも信頼され続ける整備士。その差は、取り組み方や心構えで極まる。わからないことを「わかる」、できないことを「できる」と言ってはいけない。
1年でここを巣立つ新人たち。フィリピン国内はもちろん、世界で活躍して行く彼らに教えたいことは無数にある。施設の中、よく見える場所に、日本語と英語で「急がば回れ」と貼られてあった。
20世紀中頃、ミャンマーは石油、木材、宝石などの天然資源に恵まれた東南アジアで最も豊かな地域のひとつでした。しかし、政治的要因によって孤立し経済は停滞。他のアジア諸国に大きな差をつけられてきました。転機は2010年、軍政から民政に変わり経済開放を進めたことで、ミャンマーは再び国際社会に復帰し、「アジア最後のフロンティア」と呼ばれるほど経済成長が有望視されています。
ミャンマーでは自動車は左ハンドルの右側通行が基本ですが、2012年に一般に市場が解放され、一気に右ハンドル車の日本の中古車が増えました。いすゞはこの流れに対応してシンガポールにいすゞモーターズインドチャイナを設立。ここを拠点にミャンマーでの本格的な活動を始めました。中古車の整備のために日本から優秀なフィールドエンジニアを派遣して定期的に「サービスクリニック」を実施。部品の供給もままならない環境の中、メーカーを問わずすべての商用車の整備を行い、現地のメカニックを育てる活動を続けています。ミャンマーの人々は他の貧しい国とは異なり、教育がしっかりしていて識字率も高いのですが、質素に暮らせば生活できるため欲がなく、上達してもらうためには何度も粘り強く教える必要があります。いすゞはこの活動と並行して、ミャンマー最大の都市、ヤンゴンにアフターサービス会社や販売店を展開しネットワークを広げています。
2018年時点で、ミャンマーのトラックは新車と中古車の割合が半々。中国とのつながりが強いため新車の9割が中国車で、中古車の9割が日本車。価格で選ぶなら中国車、品質や性能で選ぶなら日本車という市場です。自動車関連の法律や制度、税金やローンなど車を販売するための環境の整備がまだまだ足りない状況で時間が必要ですが、「日本車がいい」という基盤ができているため非常に楽しみな市場といえます。また近年、携帯電話やスマートフォンが一気に普及したことから、さまざまな情報が流れ込んでミャンマーは大きく変わる可能性があります。いすゞは商用車でこの国の新たな発展に貢献したいと考えています。
※出典: 一部Wikipediaより
「あれ、ここは日本か?」と目を疑うことがある。
ミャンマー最大の都市、ヤンゴン。大通りから路地裏まで
いたる所で、日本での姿そのままに走るトラックを、よく目にする。
日本で30〜40万キロ走行後、この地へやって来たトラックたちだ。
ミャンマーでは、中古トラックは貴重な働き手。
整備の差が、この先の寿命を大きく左右していく。
数か月に1度開かれる「サービスクリニック」では、
「どこか不調はないか」「まだまだ活躍できますように」
と、日本と現地のメカニックがいっしょになって点検・整備をする。
かつて日本を走ったISUZUのトラック。
まだ若く可能性だらけのこの国で、彼らは家族のように迎えられ、
今ではこの土地の風景にすっかり溶け込んでいる。
トラック輸送は日本の物流の約9割を担っています。店頭に当たり前のように商品が並ぶ。注文した商品が約束した時間に届く。そんな暮らしを支えているのです。また、ダンプなどの作業車は、様々な工事やライフラインの保守に欠かせない存在です。一台のトラックが故障してしまった場合、その影響や損失はユーザーはもちろん、広く一般生活者に及ぶ可能性があります。このためいすゞは、サービススタッフ・メカニックの技術力や知識の向上、設備の充実、部品供給の迅速化などに力を注いできました。
そして、車両単体の提供だけではなく「稼動の提供」を目指して、情報通信で車両と運行管理者、いすゞをリアルタイムでつなぐ「MIMAMORI」の標準装備化を2015年の「ギガ」から順次進めています。この仕組みを高度運用する「プレイズム」は、運行中の車両データをインターネットで常時モニタリングし、故障の予兆を検知し予測して、正規ディーラーならではの高品質メンテナンスを事前に実施して稼動を維持。商用車のサポートのあり方を変えた革新的な取り組みとして注目されています。
ISUZUの整備ピットは、まるで博物館だ。
長距離トラックが、路線バスが、
消防車が、ところ狭しと並んでいる。
平均すると、働くクルマの走行距離は
わずか3ヶ月で乗用車の1年分を超えてしまう。
そのため、営業車の点検も3ヶ月ごとと頻繁だ。
予期せぬアクシデントのために、
急な修理依頼が飛び込んでくることもある。
整備に終わりはない。ISUZUは今日も動く。
「お疲れさま」「またがんばって」
そんな、働く人へのねぎらいの言葉を
働くクルマたちにもかけながら。
ISUZUの整備ピットは、まるで博物館だ。
小型トラック、長距離トラック、路線バスに、
消防車、警察車両。
とろこ狭しと並んでいるのは、
年明けから物流や、通勤、通学、
安全などを支えているクルマたち。
それらが止まると、日本の暮らしも止まってしまう。
だから整備に終わりはない。ISUZUは今日も動く。
働くクルマを誰よりも愛し、
2014年も変わらぬ毎日を支え続けたいと願う、
私たちISUZUです。
isuzu report
経済成長が著しく将来性豊かなASEAN諸国。いすゞは、その未来を見据えて「いすゞ品質のサービス」の提供に意欲的に取り組んでいます。海外ビジネス強化活動とは、「アフターセールスの業務品質や技術レベルの底上げ」「市場ニーズを汲み上げ、ものづくりへ伝える仕組みの強化」「海外での経験を糧とし視野を広め、高いコミュニケーション能力を持った次世代リーダーへの成長」を使命とし、いすゞの国内販売会社に勤務する整備士(フィールドエンジニア)や部品担当員を新興国のディーラーに派遣する活動です。
準備やリサーチを主体とした第1期生を経て、2015年には3年間の任期で国内販売会社から希望者を募り、第2期生25名を派遣して本格的な取り組みを開始しました。メンバーの大半は自ら志願して参加。派遣先の視察や国内での研修の後、熱意と確かなスキルを携えて新たなチャレンジの地に向かいました。言葉も文化も生活習慣も異なるため、最初はコミュニケーションに苦労することもありましたが、5S活動の徹底、ワークショップレイアウトなど基本的な部分の改善に加えて、メカニックやフロントマンの技量向上、サービス工場の改善など大きな成果を上げ、現地スタッフのマインドとスキルは飛躍的に向上しました。また、メンバーの誰もが日本国内では得られない経験を積み重ねて2018年3月に任期を終えました。
任期中は各国の駐在員や部品担当がメンバーをサポート。必要な情報や部品が速やかに行き届くよう体制が整えられています。また、メンバーからの情報や報告はいすゞのデータベースとして蓄積され、将来的に市場分析や商品開発に反映されていきます。
2018年からの第3期生のうちフィールドエンジニアは、いすゞのサービス資格制度で1級もしくは同等のスキルという条件に絞って募集し、精鋭11名で現地のサービス工場運営のさらなるレベルアップを目指します。また経済成長に伴って変化するお客様ニーズを汲み上げ、さまざまなサービスやものづくりに反映する仕組みを整えていきます。