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働く人と、世界を走る。

ISUZUのトラックが、エンジンが、そして社員が、
今日も世界の各地で働く人々に寄り添い、
ともに走っています。
この星のさまざまな暮らしや仕事を、
人と技術で支えていく。

そんなISUZUの姿を伝える
ドキュメントシリーズです。

Antarctica[南極]活躍するフィールドは世界

エピソード01 南極観測隊に1956年の第1次隊から参加。エピソード01 南極観測隊に1956年の第1次隊から参加。

南極観測の当初の目的は、世界の国々が協力して同時期に地球観測を行う国際地球観測年IGYに参加することで、戦後の日本が再び国際社会の一員となることでした。隊員は研究者に加えて基地設営のため民間企業の精鋭が集結。南極で使用する発電機用のエンジンは、耐久性、燃料の安全性、電気系がシンプルで整備が容易などの理由からディーゼルエンジンが選ばれました。当時、いすゞ自動車には国の指名でディーゼルエンジンとトラックを生産してきた経緯と技術的な実績があったため、発電機用にDA220型エンジン、雪上車の1台にも発電機に転用する実験の目的でDA220型が搭載され、機械担当としていすゞの大塚正雄の参加が決定しました。

1956年(昭和31年)、第1次隊出発。初代南極観測船「宗谷」は幾多の困難を乗り越えて翌年1月、南極に接岸。観測隊はオングル島に上陸して「昭和基地」と命名。この快挙に国中が湧き上がりました。引き続き第1次越冬隊として11名が南極に残り大塚も越冬。以来いすゞは60余年にわたって参加し続けています。

  • エピソード01 南極観測隊に1956年の第1次隊から参加。
  • エピソード01 南極観測隊に1956年の第1次隊から参加。

エピソード02 極寒との戦い、屋外での整備作業。エピソード02 極寒との戦い、屋外での整備作業。

昭和基地の最低気温は−45.3℃、ドームふじ基地では−79.7℃を記録しました。ディーゼルエンジンの燃料は寒冷地軽油ですが、それでも−25℃以下になるとシャーベット状になってしまうため、南極軽油と呼ばれる特別な軽油が使われています。

昭和基地の整備工場はトラックが1台入る程度なので、入らない大きさの機械は必然的に極寒の屋外での整備作業が必要になります。なかでも一番大きい雪上車は、安全上の理由で昭和基地から数キロ離れた場所に置いてあり整備に通う必要があります。南極の気候変化は激しく、整備に行ったものの急にブリザードとなり1週間基地に戻れなかったこともあります。このため「できることは今やる」「明日やろうは馬鹿野郎」という教訓が受け継がれています。

また整備を効率よく行うためには素手に近い感覚が必要なことも多いのですが、油断すると瞬時に薄い手袋ごと金属部分に凍りついて一緒に皮膚が剥がれてしまうことや、凍傷になることもあります。基地内部は快適になっても、屋外の過酷さに変わりはありません。

  • エピソード02 極寒との戦い、屋外での整備作業。

エピソード03 観測隊の「運ぶ」を支える、いすゞ。エピソード03 観測隊の「運ぶ」を支える、いすゞ。

南極で現在使用されているいすゞのトラックはエルフ8台、フォワード4台。いずれも4WD車で、地表が出る短い夏に資材の運搬や建設工事を担います。いすゞのディーゼルエンジンは大型雪上車や、ドームふじ基地の発電機にも使用されており、「いすゞのエンジンは一発でかかる」と始動性の良さ、信頼性の高さは定評となっています。

機械担当者はこれらに加えて建設機械やスノーモービルなど、動くものすべての点検・整備・修理を行いますが、そのためには自動車だけでなく油圧、電気などの知識や、溶接、旋盤などの幅広い技術が必要です。交換部品がない場合は、使えそうなものを加工して「なんとかする」しかありません。過去には外国隊のために飛行機のボルトを作ってあげたこともあります。さらに万一、雪上車で観測旅行中に故障が発生した場合、その場で修理できるのは機械担当者だけ。観測隊を守るために「あきらめる」ことが許されない仕事なのです。

  • エピソード03 観測隊の「運ぶ」を支える、いすゞ。
  • エピソード03 観測隊の「運ぶ」を支える、いすゞ。

エピソード04 昭和基地からドームふじ基地へ、往復2,000kmの旅。エピソード04 昭和基地からドームふじ基地へ、往復2,000kmの旅。

陸地を覆う分厚い氷を氷床といい、南極で一番厚い所は4,000mに達すると言われています。ドームふじ基地はこの氷床の掘削のための基地で、昭和基地から約1,000km離れた分厚い氷床の上、富士山より高い標高3,810mに位置しており、大型雪上車の速度は8km/h程度なので通常は片道2〜3週間かかります。しかもこの旅を行うためには前もって燃料や物資を補給ポイント数か所に運んでおく必要があり、機械担当者は準備と本番両方に同行します。万一に備えて雪上車は必ず2台で行きます。

ドームふじ基地は−70℃の世界。発発電機は、稼動していないときはオイルや冷却水を抜いた状態にしています。稼動させるときはボイラーで冷却水やオイルを溶かし、ヒーターの温風で凍ったバッテリーを温める必要があります。1年ぶりなのに難なく始動するエンジンを誇らしく思うのはこんな時です。2007年には3,035mの深さまで氷の掘削に成功しました。また、採取した「氷床コア」の持ち帰りもサポートしました。

  • エピソード04 昭和基地からドームふじ基地へ、往復2,000kmの旅。

エピソード05 価値ある研究を、支え続けたい。エピソード05 価値ある研究を、支え続けたい。

日本の南極観測は、国立極地研究所を中核として、研究機関、大学、民間企業などを含めたオールジャパン体制で実施されており、60年余の歴史の中で様々な成果を挙げています。

例えばオゾンホールの発見は、世界中から大きな関心を寄せられ、オゾンを破壊する特定フロンの廃止を促進させました。南極隕石の発見も日本隊が先駆的に行い、これまでに約17,000個の隕石を採集しました。隕石は、太陽系や惑星の成り立ちの研究に貢献するとともに、学校教育にも役立てられています。氷床コアは数十万年にわたる過去の地球環境の情報が保存されたタイムカプセルであり、分析して得られた貴重なデータは未来の気候変動の予測に役立ちます。これら南極での多岐にわたる観測データは、地球環境と人類全体の未来に関わるものと言えます。

南極観測隊に加わり活動を支援することは、いすゞにとって喜びであり誇りです。究極の環境の中で「稼動」を止めない。「運ぶ」を支える。その信念は世界各国で活躍するいすゞ商用車のサポートに確実に受け継がれています。2017年7月現在の資料より
出典 : 国立極地研究所資料
いすゞ自動車資料

  • エピソード05 価値ある研究を、支え続けたい。
  • エピソード05 価値ある研究を、支え続けたい。

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新聞広告[極地も、職場。]
極地も、職場。

南極観測隊。1956年の第1次隊から
ISUZUはその活動を支えている。

「最果て」という言葉がこれほど似合う場所があるだろうか。南極・昭和基地。
ここでは、ディーゼルエンジンの停止は決して許されない。それは観測への影響だけでなく、ときに隊員の生命まで危険にさらすことになるからだ。ブリザードが何日も続くことがある。大陸の奥地まで1,000km移動することもある。極度に過酷な環境では、毎日がトラブルとの戦い。
雪上車や発電機の点検、整備、修理はもちろん、溶接や電気など、機械に関するあらゆることがISUZUの隊員に任される。メンテナンスは生命線。60年たった今でも、それは何ひとつ変わることはない。
常識や想定をこえる極限の地で、最後に頼れるものは、人と技術だった。

North America[北米]活躍するフィールドは世界

クルマ文化の先進国、アメリカでも高評価を確立クルマ文化の先進国、アメリカでも高評価を確立

アメリカのトラック市場は日本やヨーロッパとは異なります。国土が広大で道路も広く、車両全長の規制が緩いことから、ボンネットタイプのトラックが主流。また、燃料資源が豊富でガソリンと軽油の値段は同程度、時期や地域によっては軽油の方が高いこともあるため、小型・中型トラックはガソリン車が多く使われています。

いすゞの得意とするキャブオーバータイプの小型ディーゼルトラックは、一見特異な存在ですが、『Nシリーズ』(日本ではエルフ)は、小回りのきく都市内配送車として高く評価され、耐久性に優れたディーゼル車が年間2万台以上販売されています。また、2011年からはガソリン車も加えてシェアを拡大しています。さらに2017年より『Fシリーズ』(日本ではフォワード)を新たに展開することで、小回りのきくキャブオーバータイプで積載量アップをお求めのお客様に対応しました。

多様な人種、文化、価値観が混在するアメリカですが、本当に良いものは率直に評価するお国柄です。いすゞは「いすゞならではの」質の高い商用車とサービスを提供し続けることで信頼を得て、アメリカに新たな道を切り拓いています。

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この星の、すべての道が私たちの仕事場です。

道は人。道はストーリー。
大きな幹線道路から、名もなき小さな農道まで、
網の目のように張り巡らされた世界中の道はすべて、
ISUZUが活躍するフィールドだ。
運ぶ人がいるかぎり、その近くに寄り添い、
ともに走り続けることがISUZUの使命。
昼の国も。夜の国も。決して途切れることなく
道は人と暮らしを結び、物語をつなぐ舞台となる。

Asia[アジア]国境を超えて人を育てる

アジアの国々の発展と、暮らしの進化に貢献。アジアの国々の発展と、暮らしの進化に貢献。

経済成長著しいアジアの国々。道を作り、街を築き、物を運ぶトラックは、国の発展や暮らしの進化の原動力と言えます。なかでもいすゞの「Nシリーズ/REWORD」(日本ではエルフ)は、優れた耐久信頼性が定評となっており、数多くの国で長年にわたってシェアNo.1を維持しています。特にタイにおけるいすゞのブランド力は抜群で、1t積ピックアップトラック「D-MAX」も圧倒的な人気を博しています。

いすゞにとってタイは日本と並ぶ主要拠点で、ピックアップトラックの開発・生産を行うとともに、アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカなどへの輸出拠点でもあります。このため、工場や販売会社に加えて「いすゞマニュファクチャリング・トレーニングセンター・タイランド」を開設し、人材育成といすゞ品質の徹底に取り組んでいます。また新興国のお客様ニーズに対応するコストパフォーマンスの高い新興国向け商用車をスピーディーに開発するために、タイ現地に開発統括会社(IGCE)を設立しました。2017年には、タイでの仕事や暮らしに密着してニーズを取り込んだ新興国向けトラックの開発、販売を開始。いすゞの新しい世界展開が始まっています。

Japan[日本]経済と暮らしを支える使命

稼働を守ること。それは暮らしを支えること。稼働を守ること。それは暮らしを支えること。

トラック輸送は日本の物流の約9割を担っています。店頭に当たり前のように商品が並ぶ。注文した商品が約束した時間に届く。そんな暮らしを支えているのです。また、ダンプなどの作業車は、様々な工事やライフラインの保守に欠かせない存在です。一台のトラックが故障してしまった場合、その影響や損失はユーザーはもちろん、広く一般生活者に及ぶ可能性があります。このためいすゞは、サービススタッフ・メカニックの技術力や知識の向上、設備の充実、部品供給の迅速化などに力を注いできました。

そして、車両単体の提供だけではなく「稼動の提供」を目指して、情報通信で車両と運行管理者、いすゞをリアルタイムでつなぐ「MIMAMORI」の標準装備化を2015年の「ギガ」から順次進めています。この仕組みを高度運用する「プレイズム」は、運行中の車両データをインターネットで常時モニタリングし、故障の予兆を検知し予測して、正規ディーラーならではの高品質メンテナンスを事前に実施して稼動を維持。商用車のサポートのあり方を変えた革新的な取り組みとして注目されています。

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新聞広告[この国を支えるトラックもまた、人に支えられている。]
この国を支えるトラックもまた、人に支えられている。

ISUZUの整備ピットは、まるで博物館だ。
長距離トラックが、路線バスが、
消防車が、ところ狭しと並んでいる。
平均すると、働くクルマの走行距離は
わずか3ヶ月で乗用車の1年分を超えてしまう。
そのため、営業車の点検も3ヶ月ごとと頻繁だ。
予期せぬアクシデントのために、
急な修理依頼が飛び込んでくることもある。
整備に終わりはない。ISUZUは今日も動く。
「お疲れさま」「またがんばって」
そんな、働く人へのねぎらいの言葉を
働くクルマたちにもかけながら。

新聞広告[日本が、おもいきり働ける準備。]
日本が、おもいきり働ける準備。

ISUZUの整備ピットは、まるで博物館だ。
小型トラック、長距離トラック、路線バスに、
消防車、警察車両。
とろこ狭しと並んでいるのは、
年明けから物流や、通勤、通学、
安全などを支えているクルマたち。
それらが止まると、日本の暮らしも止まってしまう。
だから整備に終わりはない。ISUZUは今日も動く。
働くクルマを誰よりも愛し、
2014年も変わらぬ毎日を支え続けたいと願う、
私たちISUZUです。